贅沢
まあ、なんと言うか、ここのところ不思議な感覚に包まれている。
考えているような、何も考えていないような。
動いているような、止まっているような。
つまり、そこに、あまり自主性というものが感じられない。
自分で言ってしまっては、終わってしまうが。
確かに、今までとは少し様相が違うことを
他人事のように感じている。
これが、実に心地よいのだが
いつまでもこうしていられるのか、否、いていいのか。
ふと不安にもかられるのだが
根っから暢気というか、ポジティブというか
どこかで、何とかなる,
きっと、今に神が降りてくるのだ。
などと、勝手に思い込み
ウクレレをポロリ、ポロリ
こののんびりした人生の休息を楽しんでいる。
実に贅沢な気分だ。
先のことを考えなければ
人間結構楽しくやっていけるものなのだ。
Sense of Wonder
身近な所に、驚きや発見はある。
はずである。
旅の途中や、居場所を移動させることで
新鮮な気持ちになれる。
もっとも、これにはちょっとした
気遣いが必要だ。
特に大人にとっては。
日常から離れることが
諸手を挙げての快感と感じられる人は良いのだが、
携帯の画面をいつもチェックしようとする人には難しい。
どころか、彼らにとっては、大損である。
お金を使って、時間を使って、気を使って
何もリフレッシュすることも
得ることもない。
しばらく無の状態になることが必要だ。
空っぽにしないと、何も入っては来ない。
その点、子どもはうらやましい。
次々と新しい発見の喜びに目を輝かせる。
しかし、これも、もはや過去の光景となってしまったようだが。
美しいもの、未知なもの、不思議さに目を見張る感性が
どうやら、大人には勿論、今の子どもにも必要なようだ。
Sense of Wonder
気配
気配という言葉は
なかなか英語に置き換えることが難しい
日本語の一つであるようだが
ウィキペキアには
はっきりとは見えないが
何となく漠然と感じられる様子と訳があり
senseでも良いではないかと
僕は
そんな気もするのだが
続けて
これは、五感により読み取るを含んだ「感じる」
という意味であるため
何となく感じられるという意味での気配という語には
相当しないらしい。
まあ、何を言いたいかといえば
この気配を感じる力こそ
本来
私たちが持っていた力であり
今一番欠けているもの
そして、今一番必要とされているものではないかと、
根拠はないのだが、周囲の様子から
何となく感じとれるということである。
僕にその力があるかはどうかは
未来だけが知ることだが
何か新しく楽しいことが起こりそうな
気配を最近感じている。
暇は潰さない
暇は、実に贅沢な時間である。
とにかく、何にも縛られないのだから、
これほど有意義なことはない。
暇が出来るというのは
空っぽが出来るということなのだから
これは、じっくり大切にしたいものである。
Less is more.
減らすことは、ある意味増やすことである。
増えることである。
わたしは、そんな大切な暇を潰そうなどとは思わない。
勿体ない話しである。
暇潰しに映画など絶対に行かない。
暇潰しに演劇など絶対に行かない。
映画も演劇も読書も、暇潰しではなく
日常のごく当たり前の行為であって
その時間を暇とは呼びたくない。
ぽっかり、或いは意識して削除したことで出来る
暇は、何をしようということではなく
暇であることを、自然体で楽しむ。
感性の穴を目一杯開放にして
流れてくるもの、巡るものを楽しむことにしている。
うつらうつらも、実に贅沢だ。
ぼんやり車窓の流れる風景を眺めるのもおつだ。
暇潰しに、つぶやいたり、ネットサーフィンをしようなどとは思わない。
繋がっていないことの方が、暇は新しい感覚を与えてくれる。
繋がっていないこと、それこそが暇の正しい姿なのだと思う。
そんな時、不思議な位、新しい発想が湧いてくる。
鏡よ、鏡よ
「俺は、天才だ!」
少なくとも、
僕はそんな思い込みはしないが
思い込むことは、時として
勇気とパワーをもたらし
思い込むことで
自分を奮い立たせたり
思い込ませることで
他人をその気にさせたりすることは出来る。
そう意味では、
思い込むことは
時として重要だ。
僕も、鏡の前で
自分を映し出して
「よし、いけるぜ!」
何がいけるのかはよく分からないが
何かを始めるときは
根拠もなく、思い込むことで
自分をポジティブな方向に向かわせたりする。
問題は、勘違いである。
思い込みと勘違いは
微妙に、いや全く以て、その意味合いは違う。
この勘違いは曲者である。
ただただ、信じ込んでしまうから
始末が悪い。
間違って思い込んでしまう。
これを正すのは、難しい。
自分の内面を映し出す
鏡でもあればいいのだが。
もっとも、普通の鏡でも映し出されているのだが
勘違いが甚だしくなればなるほど
気がつかないものなのだ。
鏡だけは、その哀れな結末を知っているのかもしれない。
ずっと、映し続け、そして見つめ続けてきたのだから。










