□砂川肇のユニローグ48
2012年 5月 2日もう、何回も書いてきたことだけれど、歳を取るって、けっして悪いことじゃない。嬉しいことも、多々ある。いや、“も”は良くないな。歳を取るから“こそ”、嬉しいことどもに出会えるんだ。そう想う。
“そう想わなきゃ、やってられないんじゃねーか?”って。とほほ。正しいかもよ、そこの若輩クン!
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今年に入ってのある折。カブキチョーのとあるバーで。暇こいてたもんだから、隣席の青年氏とボチボチばなしを始めた。「ここ以外では、どちらでお飲みに?」「あ、う、神保町あたりで」「ほぅ、どんな店?」「○○っていう、小汚いところですけど—–」
ドッカーン! ○○と聞いたとたん、ボクは一瞬、ほんの数秒だけど心肺停止状態になってしまった。「うそっ(驚愕)! ボク、そこ、知ってるかもしれない。でもなあ、35年も前のはなしだから、違う店かも。名前だけ同じ、かな?」
しかし、なのさ。仔細を問うて、確信した。「あの店だ!」。もう50年近く続いているバーで、カウンターに7~8人も座れば満杯で。女主氏は70歳がらみで、有線のジャズがこそっと流れていて—–。
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30歳になったかならないかの頃、ボクはその店に入り浸っていたんだ。そのとき属していた会社の悪辣同輩たちと、ほぼ毎晩—–。
若造たちだからこそ、上司たる経営陣を嫌味満タンで欠席裁判したり。青造で、なんにもわかっちゃぁいなかったくせに、時事刻々たる社会問題に赤顔でウンチクしたり。見解が分かれて、怒鳴り合いに転じて、ある一人が手にしていたコップをカウンターに叩きつけて。破片が指に刺さって、血が流れだしちまって。
「じゃあ、お前はあの頃、何やってたんだよっ!」と、当時お決まりのセリフが飛び交って(わかる御仁にはワカルよね!)、よしゃあいいのに胸ぐらをつかみ合って。と—-ついに雷が落ちたんだよね、じっとガマン顔だった女主氏から。「ハイハイ、ハイハ~イ。どんどんやって、外で(怒!)」
とたんにみんな、ヒソっとしちまって、何人かが「じゃ、オレ、仕事に戻るわ」と小声しつつスツールから尻をはずして—–。
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隣席の青年氏は、名刺の裏にていねいな地図を描いて、「いちど、訪ねてやってくださいよ」と微笑みかけてくれていたんだ。
だから—–それから、3カ月か4か月。お久な水道橋での仕事と仕事飯が終わって、ボクはその名刺を取り出していた。歩いて、すぐそこ。ていねいな地図は、しかしちょっぴり端折ってあって、辿りつくまでに30分も掛っちまったんだけど。暖簾を掻き分けて立ち入った○○の佇まいは、なぁ~んにも変わりなく、生きていた。
楚々とした女主氏の、ハスキーな声や振る舞い。その背棚に並ぶのはサ△□リーの角瓶、角瓶。カウンターには、値段お手ごろな旬の惣菜。おそらく、静かに流れているジャズも—–。
それから小一時間ほど紡がれた“こもごも”は—–書かない。書くもんか。冥土に持っていくべき“極私的お宝話し”だからさ、ボクにとって。
と言っちゃあ身も蓋もないな。じゃあ、少しだけ、おすそわけ。ちょっと離れた席に黙って座っていた老紳士氏が、ビミョーに空気を読みつつ聞いてきた。「ホントに35年ぶりなの?」。ボクは、即答した。「ええ、まさに」。彼は応じた。「ふうん、10年、15年は聞く話だけど、35年ねぇ。その間、一度も、来てない?」。ボクは、嬉しくて、嬉しくって、満面笑みでうなずき返した。
もちろん“こもごも”には、哀しい文脈もひそんでいた。
まず○○は、じつは35年前の実物ではなかった。昔のところから、300メートルほど引っ越していたんだ。だから、殴り合ったのは“このカウンターで”ではなかった。コップの破片で指を血に染めていた同輩は、かれこれ20年前、突発的な心不全で世を去っていた。ボクをこの店に初めて連れて来てくれた通称ハマさんも、もう10年ほど、顔を見せていない—–。
喜ぶべき局面もあった。遠くの席で様子をうかがっていた、もう一人の紳士氏が、ほろ酔い声を投げてきた。「で、あんた、幾つ?」。「65歳です!」とボク。そしたらさ、彼、ちょっと俯いちゃってつぶやいたのさ。「ふーん、まだ若者さんじゃないか」。へへーィだ。どこへ行ってもジジー扱いされる今日この頃のボクではありますが、ここでは若者! たはっ。嬉しーぃじゃあーりませんか!
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ところで、なのさ。35年ぶりの、こんなステキな再会を切っ掛けしてくれたカブキチョーのバーそのものが、じつはこの3月末で閉めちゃったんだよ。世はめぐるんだ、前にも書いたけど。因果だ、とでも言葉をつなぐべきなのか。ああ。
このバーをめぐる“こもごも”は—–もうしばらくは、書くことなんてできない。
PS:○○の名を明かせ? バカ言っちゃあ、あきまへんで。このブログがきっかけになって、若輩たちが殺到したら、誰がどう責任取るっちゅうんジャい! この!